2013年5月6日
ホメオパシーで使うレメディー、Carcinocin(がん細胞)を表現するマテリアメディカ『Prisma』には、こういう記述があるので訳してみた。
癌とはどういう病なのだろうか。
癌は本当に、悪なのか。
切り取り、焼き切ることに、真の解決策があるのか。
(以下、引用)
生きることをあきらめたエネルギー
世界を得て、自分の魂を失ったとしたら、人はどんな得をしたと言えるだろう?
『身体は、人が自分ーーもしくは「その人の残りの部分」と言えるかもしれないーーでは表現できないことを表現するのだろうか。たとえば、癌という形で?』。
彼女の言葉に、驚くことなかれ。
『身体の病気は、魂が自分を癒すための試みよ』。
そして彼女は言った。
『癌になった人は、自分自身ではなく、他の人の人生を生きてきた。そして、自分自身の人生を生きることをあきらめてしまったのよ』
『こんなふうにして、本物の人生への切望、この本物の願いは内側に、身体の影にもぐりこみ、大きな圧力の下にあるボールの中に丸まってしまい、大きくなり、成長して、「悪」と呼ばれるようになるの。
・・・腫瘍は、生きることができなかった生命エネルギーから成り立っているわ。生きることができないエネルギー。なぜなら、それが生きたとしたら悪いことだったから』
・・・自分の魂を、もっともな理由によって完全に裏切ってきたほかの存在たちよりも、彼女はその癌細胞を、自分にとってより誠実で、より本当の代弁者と見なしていた。
・・・癌患者が自分を癒すためには、その人が焦点をあてている身体的な生存よりも、その人の人生の本質、その魂、その内的な調和こそが、その人の潜在的な健康を成り立たせるということに気づかなければならない。
人は、自分自身の一つ一つのニーズと優先順位と喜びに、敏感になる必要がある。たとえ、総体的には、それをすれば悪い、と判断されるようなものであっても、人はそれらを尊重し、これらの要求に“表現を与えなければいけない”。
この、より高い『権威』、もしくはより高い秩序の誠実さとでも言うべきものは、人間の理解や判断を超えている。しかしながら暗黙のうちに、癌患者に、自分の本当の姿を尊重し、そこに表現を与えることを許し、本当の人生を生きる希望を与える。その『さらなるボーナス(特典)として』、癌患者の治癒が起きるのである。
本質を与える最後のとりで
・・・Wiedemannの見方にも、とても似たものを見る:
癌細胞は私には、その他すべての組織が自分の魂を裏切った人において、本当の『自分』を表しているように見える。癌細胞は、魂に表現を、人生に本質を与える努力をしている、生体にとっての最後のとりでだ。
なぜ私たちは、未分化で、『原始的』で、あまりに創造的であるというだけで、これらの細胞に偏見を持たねばならないのか? 結局、同じように原始的で、未分化で、創造的な生殖細胞に、私たちは畏怖の念を感じるではないか?
・・・癌細胞は、『まるで、完全に無視されて苦しみ、向こう見ずなやり方で自活することを学んだ人間のように』ふるまう。彼らには、考慮とバランス感覚が欠如している;彼らは自分の領域を増やすために、すべての方向に広がる。より大きく、より多く、より速く、という探求を動機としながら。
;そして、自己中心的な人間と同じで、彼らは基本的に、関係を絶った孤独のうちに、本質のない人生を生きる。結果的に・・・これ(癌)を『悪い』と見なし、どんな手段を使ってでもこれを根絶させようとすることは、より簡単だ。
・・・自制心、『私』ではない存在として認められようとする欲求――意識的にはこうした望みを持っているにも関わらず、魂のより深い欲求は、自身を表現しようとする。
他の『通常の』組織、心、身体が、ほかの、(無意味で表面的ではあるが)深く根付いた倒錯したプライオリティー(序列)の中で、個性と人の成長に必要な、痛みを伴う探求をあきらめるとき、私はCarcinocinを、本当の『内通者insider』と見なす。
・・・人は自分の魂を裏切る。なぜならそうするほうが、愛や保護を与えてくれる人たちを怒らせるというリスクを侵してでも自分自身の信念を確立し表現するより、痛くないし、怖くないからだ。