ありがとうソクラテス

2013年3月13日

以下、Conium、Prismaより


ソクラテスを殺した劇薬について記述するとき、プラトンは、特定の名前や、その原料についての言及もしていない。にも関わらず、ソクラテスの死の描写から得られる症状は、Cicutaというよりは、Coniumの毒の特性に、ぴったりマッチしている。

 

Cicutaの毒は、典型的にとても暴力的で、突然の始まりと、けいれんによって特徴づけられるが、一方でConiumは、上に上がっていく筋肉麻痺を起こす傾向をもつ。

 

ソクラテスの死は彼の人生の論理的な結果であった、だからソクラテスの生き方と哲学はいくつかの手がかりを与えてくれるのだ、と言いたくなる誘惑にもかられる。しかしこれらは、せいぜい仮定であって、決して最終的な答えではあり得ない。ソクラテスは何も書いていない;彼の性格についての情報については、だから、ほとんどはプラトンの書いた対話に頼るしかない。

 

キケロによると、ソクラテスは「哲学を、天国から地上にまで引き下ろした」。彼の自己コントロールと耐久力は、模範的だった;プラトンは言っている、「彼は節度に対してとても自分を律していた。それは、彼の乏しい財産が、彼の欲しいものすべてを満たすために、である」と。

 

彼の、苦難を自らに課した人生は、彼のスピリチュアルな独立のための代償だった。「彼の年齢では、最も知的に鋭い男」と評された彼の哲学は、人を真理に導くような一連の質問をするという方法に基づいていた。それでも人前で、「彼は自分のことを、その場で最も鈍い人間だと自称した」。

 

彼は自分が、同胞に、自分の無知や、また魂がよいとする知識のほうを至上の重要性とすることに気づかせる任務を、神から与えられていると信じていた。哲学者の「神のお告げ」は、「声」としてソクラテスが子どものころからよく聞いていた。その「声」が、彼が何かをするの禁じ、彼はそれに妥協せずに従ったのである。

 

権力をもっていた男たちは、自分の若いとりまきが、権威について質問を始めたとき、動揺した。これは、紀元前399年に、不敬のために告発されるという結果になった。彼は「若者の堕落」と「都が崇拝している神々への軽視と、宗教的に新しいものを実践した」というかどで訴えられた。

 

ソクラテスは、罪を認め、軽い刑を受けるか、もしくは逃げるかなど、いくつもの機会を与えられた。しかしソクラテスには自分の信念を公けに発言する勇気があり、断固としてどんな罪を認めることも、逃げることも拒否した。神からの任務を無視することよりも、彼は弁明まで生きて、すぐに死を迎えたかった。ソクラテスは、自分について弁明し、死刑に満足していると述べた。

 

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改めて、すごいなあと思う、ソクラテス。質問という形式もすばらしい。相手は、自分で、自分の言っていることの矛盾に気づかなければいけなくなる。その矛盾を認めたくない人たちに、ソクラテスは殺された。自分がもし当時のソフィストで、ソクラテスに矛盾を追及されたら、どんな気分になるだろうと想像する。「生意気なやつめ」。自分の過ちを認めるくらいなら、相手を殺したっていいと思うだろう。

 

で、ソクラテスが死んで、みんなホッとしただろうか。そりゃ自分の生活を脅かされずに済むし、ちょっとはそうかもしれない。でも、本当はみんな、死んでもらうより、ソクラテスに、自分の非を認めてもらいたかったんじゃないだろうか。だから、非を認めなきゃ殺すぞ、って脅したかった。それでひるむだろうと思った。そしたらソクラテスはというと、「そんなことするくらいなら、全然死んでいいよー」と、理路整然と死んで行ったのだ。

 

負けた、って思うだろうな。何に負けたか。真理に、負けたのである。生活の安泰を得ても、一生の苦悩を背負ったかもしれない。なぜって? 人間は本当に最終的なところで、やっぱり真理には、負けるのだ。それを思うと愕然する。私が今まで傷つけたり、陥れてきた人たちのことを思い出して愕然とする。人は真理には負けるのだ、どんなに勝ったように見えても。それが人間が人間であるゆえんの、すばらしさであり、美しさであり、そして、たとえこの世がどんな状況であっても、私たちが「人間」に希望を失わないでいい理由なのだと私は思う。

 

ソクラテスの聞いていたという「声」。ソフィストに聞こえていなかったかというと、たぶんそれは違うと思う。きっと「声」は、どんな人にも聞こえている。その「声」にそのまま従える人もいれば、耳を塞ぎたくなる人だって当然いるだろう。だから人は病気になる。自分の過ちを認められずに苦しみ、その苦しみが病気になっていく。ホメオパシーは、単に身体の病気治しをしようとしているんではない。その「声」を、各人がより聞きやすい構造をつくる、そのお手伝いを試みている。

 

ソクラテスの聞いていたという、その「声」。私にも聞こえているんだろう、きっと。いつも見失うけれど。「声」に思いをめぐらせてみる。

 

そう言えば、斉藤ひとりさんも同じこと言っていた。小さいころから声が聞こえていて、宇宙のこと、いろんなことを教えてくれたんだそうだ。そんなことを思い出した。長いこと読んでくれたみなさま、ありがとう。ソクラテスにも、ありがとう。