三宅洋平を考える

 

2013年7月23日

 


先日、学生時代に通っていたマスコミ塾に顔を出したが、私たちの時代に比べて、マスコミ志望者が極端に減っているらしいことを知った。外資系など金回りのいい企業への就職希望が増えた、という話もあったが、実際のところどうなのだろう。私が、マスコミ志望者が減ったという話を聞いて真っ先に思い浮かんだのは、若者たちの生き方自体が、変化している兆しじゃないかということだった。


海外から見た日本は、猛烈に働く人たちの国というイメージではなかったろうか。「過労死」という言葉さえ、資源もないのに経済大国を達成させたという意味で、どこか誇らしい響きを包含していた気さえする。なぜか? 社会全体に夢があったからだ、「経済成長」という夢。いつまでも続いていく成長とともに、いつかは自分にまで富が分配されてくるだろうという期待。この夢と期待が、「過労死」を暗黙のうちに認めてきたのではないかと思う。


でも、どうだろう、蓋を開いてみれば、「経済大国」だと思われているこの国の内情は、国債という借金を増やし続けては、電力(原子力)、医療(西洋医学)をはじめ、一部の業界だけを支援し続けている。確かに、ニューディール政策にならって、経済を回し続けるために必要だった面はあるだろうが、カンフル剤ということで言えば、もう「打ち過ぎ」状態である。日本は今、カンフル剤を打ち過ぎて、栄養ドリンクを飲み過ぎて、明日の精力を使い果たしたジャンキーだ。未来の自分を担保に、カードでお金を借り過ぎて首が回らなくなって来ている多重債務者だ。


少子化で年金は先細り、制度自体いつか破綻する。私たち20代、30代にとっては、今日ももちろん、老後どうやって食べていくかなんて思いつかない。就職した企業はブラック企業。過労死するまで熱血に働かされても、手元に残るお金はほんのわずかで、もうかるのは資本家ばかり。自殺者年間3万人。国の借金を増やし続け、使用済み核燃料を増やし続けながら、後の世代にそれらを負わせるという選択以外に、私たちの生きる道はないのか。


最近、若者たちの生き方自体が変化していると考えたのは、周囲を見ていて、農業を始める人たちや、Iターンで田舎に移り住む若者たちが増えていることからだ。中には、かなりの収入や学歴を捨てて、そういう生活を始める人たちも多い。言ってみれば三宅洋平は、そんな人々の代表的存在とも言える。


早稲田大学文学部出身、リクルート就職、しかし9ヶ月で退職し、音楽という夢をもちながら、荷揚げのアルバイトなどで生活していた時期もある。音楽で成り立つようになってからはCMの仕事もしていたようだが、原発に対して声を上げ始めてからはぱったり減った。兵糧攻めを経験し、「燃えた」らしい。日本各地で、音楽をしながら旅をしていた時期もある。3・11以降は沖縄に住んでいる。


三宅洋平と最近の若者たちの共通点は、今までの経済成長ありきのあり方から、「いち抜けた」、というところにある。いつまでも続く(と予定されている)経済成長の、その先には、自然の破壊、地球の破綻しかないということ。誰もが気づいているけれど気づかないふりをしているその先を、今の若者たちは、もう見ざるを得ないところまで来ている、ということの表れである。


集中豪雨で家が流されたり、竜巻がいろんなところで起きたりと、一昔前では考えられない異常気象が起きている。海が汚い。さらにそこに放射能が加わった。生き方変えないと、そろそろ地球がやばいんじゃない? 私たち地球に住めなくなるんじゃない? そういう市民たちの素朴な声で始まり、ここ30年で世界中に広がり続けているのが、「緑の党」だ。「緑の党」がほかの党と大きく違うのは、どこかの経済、職員、宗教団体を母体とし、その利益を代弁しているのではなくて、単純に地球に住み続けたいと考える市民を母体とし、人類存続という利益を追求しているところである。


とまあ長くなったが、実はこういう流れの話を、昨日、元夫にしていたのである。しかし、やはり一つ、「国防」に関しては、元夫にも納得できなかったところがあったようで、きのうは熱論になった。確かにこのままの経済成長が、いつか地球規模での破綻をもたらすことには同意できる。けれど、もし日本人の若者たちに、三宅洋平のように経済成長からいち抜けた人たちが増え続けていったとしたら、韓国や中国に狙われるんじゃないか、土地を買い占められるんじゃないか、さらには攻め込まれるんじゃないか。彼の心配はそこにあるようだった。だから憲法は改正し、日本も軍備すべき。今の日本は結局のところ、アメリカの庇護下にあるから攻め込まれないかわり、支配を受けている状態なので、軍備をつければ日本は世界にもっと強く出ることができる。そういう論旨だった。


そこで私が言ったのは、「そもそも軍備したことで日本は安全になるのか」という疑問だった。原発55基が埋まっていて、ここをミサイル攻撃か、スパイに爆撃でもされたら、まず壊滅する状態にある。日本でいくら軍備を整えたところで、人間の数も、資源も、多くの国にはかなわない。けれど、江戸時代、黒船でやって来たペリーと外交し、侵略を免れた日本人たちの歴史を思えば、日本人にはすばらしい外交の知恵があった。つまり「外交」こそが、一番の平和をつくる手段であって、国防軍的なものが動くことがあるとすれば、それは「外交の失敗」を意味する、最後の手段であるべきだ。けれど、今の日本の政治家たちには、それだけの「外交力」がない。だから彼らは「軍備」に走ろうとしてる。


すると元夫が言ったのだった。「そうか、憲法9条っていうのは、そういう覚悟の上に成り立ってたんだね!」と。「今まで僕は、9条擁護論っていうのは、アメリカの庇護下にあるのに、それを忘れて好きなこと言ってる、っていう、平和ぼけで無責任なものに聞こえてた。確かに、9条を守りたい人たちの中には、そういう人たちもたくさんいるだろう。でも憲法9条っていうのはもしかすると、たとえアメリカから守ってもらえなくても、本気で『外交』しますよ、と。そういう覚悟の上に成り立つものだったんじゃないか。そう考えると、納得できるよ。うん」。この一言は、私にとっても大きな発見だったし、すごくうれしかった。そっか、憲法9条は、外交でやっていきますよという、日本人の覚悟だったんだ、と。


実はこれは、ホメオパシーとも重なる話になる。「悪いやつは叩いてつぶせ」。それが、細菌やウイルス、がん細胞に対する今までの医学の考え方だった。けれど、ホメオパシーやほかの代替医療の多くが訴え、実際問題として今起こっていることは、そんなことを続けていると、“その宿主である人間自体が弱って死んでしまう”ということである。それよりも、細菌やウイルスが「なぜ」出てきているのか、その理由のほうを根底から知り、解消していくことこそ、根本的な解決ではないのか。細菌やウイルス、がん細胞に対して、今までホメオパシーをはじめとする代替療法がとってきて、実際に成功してきたその方法は、私には、とても腑に落ちるものに思えた。その腑に落ちる感覚が、今、元夫との会話の中でも感じられるし、三宅洋平を機に、日本全体にも広がっていこうとしている機運を感じる。


何かを叩いてつぶさないといけない、と人が考える、その根幹には大抵の場合、「不安」や過去の「傷」がある。そうであればこそ、とことん話し合えば、きっとわかり合える。相手の不安を聞き、傷を知れば、互いに考えていたものよりも、もっといい知恵が浮かんでくる。そうやって人類は今、私的には「ホメオパシー」、三宅洋平の言葉を借りて言うと「チャランケ」する時期に入ったのだと思う。


ドイツの強制収容所で、外国兵たちが収容されたとき、ドイツ兵の中には彼らを殺せた人と、殺せなかった人たちがいた。戦後、殺せなかったドイツ兵たちに、どうして外国兵を殺せなかったか聞くと、彼らは外国兵たちに家族の写真を見せてもらったりと、何かしら人間的な交わりをもったのだそうだ。処刑するとき殺す相手の顔に布をかぶせることも多いのは、顔が隠された瞬間、相手を殺しやすくなるからである。相手の中に「人間」が見えたとき、それでも相手を殺すことができる人はどれくらいいるだろうか? 


殺人の時代は終わった、と三宅洋平は高らかに宣言した。家族の写真を見せ合おう。布で顔を隠すのではなく、顔と顔を合わせよう。徹底的に話し合い、人間が人間と出会う、その瞬間をもっともっと作り出そう。地球という人間の宿主が破綻に向かう前に、私たちにはできることがある。三宅洋平は落選したけれど、私たちには確実に、希望の種がまかれたのである。