きつねにょうぼう

2012年2月26日

 

 

さっきまで、無性にさみしいさみしいって思ってた。
あ!と思って、Puls200Cをとった。
最初は大きな変化は感じなかったんだけど、
そのうちなんかジーンとしてきて、子どもに本を読んでやりながら、
妙な感動を感じていた。
そうそう、こういうのがホメオパシーのレメディーの効きかたなんだよね。
さみしい、さみしい、あの感じはなくなって、癒された感じが残った。

子どもに読んでたのは、「きつねにょうぼう」っていって、
きつねが若い女に化けて、貧乏なお百姓の青年のところに急にやってくるお話。
「一晩とめてください」。
だけど、一晩たっても二晩たっても帰らない女に、
青年が、「どうするつもりだ?」と聞くと、
「あなたのお嫁さんにしてください」と言う。
「それはうれしいが、こんな貧乏な私がおまえみたいなきれいな人を」と言うと、
「なじょうも(どうしても)、お嫁さんにしてほしい」と言う。

そんなわけで、青年と女は結婚して、子どもが生まれた。
しかし、そんなある日、女は油断していて、子どもにしっぽを見られてしまう。
女は子どもに「これからもおまえとおとっつぁんを見守っているよ」と言い残し、
その家を去ってしまうのだ。
そして、その言葉どおり、彼らの植えたお米を豊作にしたりする。

実は、最後に二人が彼女に会ったのは田植えのときで、
朝早くに出かけてみると、きつねがもとの女房の姿で田植えをしていた。
女房が、子どもに最後のお乳をやっているとき、
青年は女房に頼む。「どうか、戻ってきてくれないか」。
でも、女房は首を振る。
そして、キューンと泣くやいなや、きつねの姿に戻って、森に帰って行く。
そんな話だ。

きつねはどんな思いだっただろう。
愛する子どもや夫を残して。
「きつねでもいいから、一緒にいてくれ」と、懇願されながら、
山に戻って行くきつね。

たぶんきつねは山道で、歩いていく青年に恋をしたんだろう。
恋をした相手のお嫁さんになり、子どもができ、幸せな日々だった。
でも、自分の正体がわかってしまったら、この愛する二人に迷惑がかかってしまう。
きつねは、泣く泣く身を引いたのだ。

でも、待てよ、と思う。
きつねは本当に、身を引かざるを得なかったかというと、
本当はきつねには、彼らのもとにとどまるという選択肢もあったはずだと思う。
きつねであることは家族だけの秘密だよ、ということにして、
村人たちに隠しながら、生きる方法も。
それを選択しなかったのは、きつねの二人への思いやりだったろうか。
きつねの、潔癖主義のためだったろうか。
いや、もしかすると、本当は、
「二人にとって、最も忘れられない自分でいたい」とでもいうような、
どこか依存的な、尽くし好きで、愛されたい、
少し刹那的な、愛し方のためだったのではなかろうか。

最後の推理が近いとすれば、なんだかきつねにもPulsが効くような気がして、
今夜の私は、きつねとキューンとでも言っていたいような。
レメディーをとると、いろんな友達ができるものである。