2014.8.22
高校の生物を復習しているのですが、
すごくおもしろくなっていることに衝撃です!
(高校のとき、こんなこと習わなかった気がするけど、
記憶にないだけなのかな???)
46億年前に地球誕生、38億年前に最初の生命が誕生しました。
だけど、その当時の地球には酸素はなく、
最初の生命は、①酸素を使わない嫌気呼吸を行う原核細胞でした。
その後、27億年前に、今のシアノバクテリアの祖先と言われる、
②光合成を行う原核細胞が誕生!
これを機に、地球には酸素が少しずつ増え始めたのでした。
(だから、今地球にある大気中の2割にあたる酸素は、
すべて、光合成由来ということなんですって)
そして、酸素が生まれたことを機に、
この酸素を使って、より大きなエネルギーを取り出せる、
③好気呼吸を行う原核細胞が誕生しました!
さて、この①〜③のうち、人間や動植物の祖先となった細胞はどれでしょう?
・・・③と思いません?
実は、答えは①なんです。
なんと、この①の原核細胞ですが、
③の酸素でエネルギーを取り出す原核細胞を取り込みまして、
そのときの③の原核細胞が、
今のミトコンドリアになったんですって〜!!!
こうして私たちの祖先である真核生物ができあがった、と。
共生説というらしいのですが、もう証拠も多くあがっていて、
これが今の生物の主流の考えになっているようです。
証拠としては、
ミトコンドリアが独自のDNAをもっており、
このDNAが、ほかの好気性呼吸を行う細菌に酷似していること、
また、ミトコンドリアは二重の膜になっていて、
外側の膜がその細胞の細胞膜、
内側の膜がミトコンドリアが独自でつくっている膜だということ。
つまり、取り込むときに細胞が自分の膜で包み込んだので、
その膜が外側に残ってるんだと。
そういうことらしいです。
そうやって、人間の呼吸の仕組みなどを見てみると、
確かに、そうなんですよね。
呼吸は、
解糖系(@細胞質の基質、2ATPができる)
クエン酸回路系、電子伝達系(@ミトコンドリア、36ATPができる)
にわかれているのですが、
最初の解糖系では、酸素使わないんですよね。
細胞質の基質で行われていて、実際、私たちの本体って、
酸素使えないんですよね。
もしかすると私たちの祖先は、③を食べちゃった、
でも消化できなかった、と。
そうやって共生関係に入ったのかもしれない、
という考えもあるようです。
またさらに!
植物はというと、これに加えて、②も体内に取り入れたんですよね。
このシアノバクテリアの祖先が、植物の体内で葉緑体に変わったと。
その説に関する証拠も、ミトコンドリアと同じように出ていて、
たとえば、葉緑体も独自のDNAをもっており、
これがシアノバクテリアにとても近いこと、
外側と内側の二重の膜をもっており、外側はその細胞由来、
内側が葉緑体由来になっていること、など、
いろいろあるようです。
酸素は、細胞にとってはDNAを破壊する危険な物質だったようで、
きっと私たちの祖先である①にとっては、
酸素が増えていった環境は、ある意味、ピンチ!でした。
でもそこで、①は酸素をエネルギーに変えることのできる、
③を取り込むことで、生き残りを果たしたばかりか、
そのおかげでさらに進化をとげていったという・・・。
私たちの体の中には、二種類のDNAがあって、
つまり私という存在自体が、何というか、
私だけでできているものではなかったというのも、驚きでしたが、
私たちの祖先である①が、生き残り、進化をとげていったのは、
何か際立った特技などがあったからじゃなく!
むしろ、いろんなものを取り込み、力を借りていくという、
キャパシティーの広さこそが、私たちの祖先である①の、
最大の強みだったという事実に・・・
・・・私はただただ、驚愕しております。笑
きっとお勉強中の方には、わかってもらえると思うのですが、
いや〜、ホメオパシー的な話です・・・
追記
細胞の膜には、小さめの分子を取り込む孔があるんだけど、それでは運搬できないような大きな分子を取り込むときもある。そのときは、細胞の膜が包むような形で中に運んでいって、その中に水素を輸送して、中のものを酸性化して分解する、みたいな過程があることがさらにわかった。(これも教科書でね。笑)
で、これは私が勝手に思ったことなんだけども、そういやミトコンドリアとか葉緑体の祖先は、水素で分解されるっけ?と。彼らは、水素を膜内に取り込んで、それが吹き出してくる勢いを利用してエネルギー合成を行っている。ということは・・・? もしかしてミトコンドリアとか葉緑体の祖先は、その水素攻撃に屈しなかったんではないかな、と。
うわー、つじつまが合う(浅い知識の上ではね笑)、すごいと思った。
それにしても、細胞が他を取り込んでいく(ホメオパシーはもっとfineな分野での取り込みにはなるけど)という過程こそが、細胞がはるか昔から脈々と続けてきたことなんだなあと思うと・・・やはり感慨深い。